迷って決断しても人生は必ずしも思い通りに進まない。だがそれでいい。

僕の人生は思い通りに進まない

初めて大きな決断を自分で下したあの日から、僕の人生は思い通りに進まなくなった。心理学によると人は、1日あたり35,000回もの決断を下すらしい。これには、食べ物の食べ方などから、進学や就職といった人生に関わるような規模の大きいものまで含まれる。

 

話を戻すと、僕が初めて大きな決断を自分でしたのは大学生1年の秋頃だった。それは、言い換えると大学に入るまでの18年間、記憶に残るような大きな決断をしなかったとも言える。

都合の悪いことには蓋をする 

大学に入学した時、ふと英語が話せるようになりたいと思った。

きっかけは、なんかモテそうだから笑

大学には英語の学習センターがあったので、そこへ顔を出した。

しかし、高校はスポーツ推薦で入学し、大学も指定校推薦と全く勉強せずに生きてきた僕は、惨めにもHow are you?にはI'm fineというお決まりテンプレートすら知らないレベルで何もできない。

さらに、センターで多くの留学生が英語で会話をしていたの見たので「あ、これ無理だわ」と思い、回れ右してお家に帰ることにした。

「やっぱり、英語なんて難しいそうだからやめとこう」

 

昔から都合の悪いことに蓋をするのだけは得意だった。見えないようにすれば辛い思いもする必要はないし、そうすれば楽に生きることができたからだ。 

人生で初めての大きな決断

ところが、 しばらく大学の友達と遊び呆けていると、徐々にある疑問を持つようになった。

それは「僕は大学に何しにきてるんだろうか」

 

当時は遊ぶかバイトしかしておらず成績も単位さえとれれば良いと思っていたのでだが、 ある日、自分が遊ぶ理由は遊びたいからでなく、都合の悪いことを見ないために遊んでいることに気づいた。

正直遊ぶのは好きだが、毎日遊ぶほどアクティブでも無かった。

同時に英語の件を思い出して、惨めな気持ちになる。

 

そのことに気づいた日、色々考えるとこれで英語の勉強しなかったら一生後悔すると思った。

大学生活の四年間をドブに捨てたく無い。

大学生活をドブに捨てないため、本気で英語の勉強をすることにした。それはできないことから目を背けないことを意味していた。

 

人によっては、たわいもない決断だが、これが僕にとって人生初めての大きな決断だった。 

思い通りに行かない人生の始まり

英語を勉強するなら交換留学に応募することに決めた。だが、決めたは良いものの、上手くいくはずもない。自分なりに必死で勉強した初めて受験したTOEICは見事370点だった(990点満点)。370点は応募基準にも満たしていないので、門前払いされた。

仕方ないので中学文法から復習しなうことにした。英語の参考書もたくさん購入し、海外研修にも参加し、とにかく英語が身につくなら何にでも取り組んだ。

余談だが初めて本屋で本を買ったのもこの時である。

 

しかし、思い通りに行かないのは英語に留まらない。

僕はお世辞にも器用とは言えず、マルチタスクなんて神の御技を崇拝するほど一つ以上の作業を同時にこなすことができない。

英語の習得が第一であり全てであった当時の僕は、つるんでいた友人や付き合っていた彼女と完全に疎遠になっていった。学内で顔は広い自負があったが、次第に友人とすれ違っても挨拶すら交わさないほど疎遠になり、彼女とは別れることになった。

 

決断とは、「断つものを決める」すなわち、決断した事柄以外は捨てることを意味する。よく言ったもので、僕は英語以外は全部捨ててしまっていたのだ。

振り返ると、至極愚かだが、それくらいしないと英語の習得は無理だったのだと思う。

 

これには流石に困った。英語は勉強したいけど、周りに誰もいなくなるのも辛い。でも周りに気を使うと勉強おろそかになる。。。。

自分の行いは正しいのかがわからず、思考は堂々巡りするので、それから目を背けるために英語の勉強を行なった。

お得意の蓋をする発動であるが、ここまでくれば自己に対する強迫観念であった。 

上手くいかない人生もたまに上手くいく

上手く行かないことだらけだったが、1年生から始めた英語が初めて実りを見せた。2年の冬のことでTOEICは650点にあがり、念願の交換留学(アメリカ)に合格したのだ。

それは、僕にとって人生で初めて何かをやり遂げた瞬間だった。 そして、できないことが少しできるようになった瞬間でもあった。

 

合格までに数多の失敗を重ね、その度に落ち込んでいたはずなのに、自分で決断を下し歩いてきた軌跡はこの日のための道となっていた。 また、多くの友人とは疎遠になってしまったが、その代わり新たに切磋琢磨しあえる友人も知らぬ間にできていた。

 

この時、人生が思い通りに行かなくなったのは、思い通りに行かない人生を見ないようにしていただけだったことにも気づけたのであった。

終わりに 

人生なんてどんだけ迷って決断しようが、とことん上手く行かないものである。

僕なんか人生の9割は辛いで構成されている。

 

正直念願の合格した交換留学もアメリカでは常に劣等感との勝負だったし、

帰国後、新卒というステータスを捨て、大学院進路を検討するも志望大学院は無理判定を受けて予定とは違う大学院に入ることになるし、

大学を卒業した後も、大学院ではほとんど研究に時間を費やしたが、思い通りに行った試しはなかった(なんとか無事に卒業はさせて貰えたが)。

そして現在は、卒業後の進路で国際機関に就きたいと考えていたが、先日見事に不採用通知が届き半分ニートみたいな状態である。

幸か不幸かこの間は大学院生活で借入した借金の返済期間となっている。

 

笑ってもらう方が清々しいわ。

人生なんて、こんなもんでほとんど上手く進まないのである。

 

だが、何も考えず社会から提供された金型に人生を画一化するよりも、

惨めでも醜くてもいいから自分で迷い考え抜いて決断してきた人生の方に、なぜだか生き甲斐を感じてしまう。僕はドMなのか。

 

そしていつか、思い通りに進まない人生での迷いと決断は、

いずれ、できなかったことができるようになる瞬間を産むはずだ。

 

その瞬間は、人生のほんの1割にも満たない刹那かもしれない。その刹那の時だけを求めてイマを必死に生きるのだ。

 

 

人生なんて思い通りに進まない。だが、それでいい。

自分という可能性を見出すためならば。

 

ではまた。